介護職になったキッカケと介護職として大切なもの 

小さな気づき、観察、そして共感

 私が思う介護職として大切なもの、それは、観察と共感であると考えています。

皆さんこんにちは!土屋ケアカレッジ関東の運営を担当させていただいております山根です!

 今、私は重い障害や難病をお持ちの方が施設や病院ではなく、住み慣れた地域や自宅で“自分らしく生きる”を支える為に重度訪問介護サービスを提供する重度訪問介護事業所「ホームケア土屋」と、介護の基本から専門的な記述や知識まで丁寧な指導で資格取得を目指すお手伝いをする「土屋ケアカレッジ」の双方にて就労しています。

 私が、弊社で働きだしたのは、昨年の6月。

それまでは、都内の老健(介護老人保健施設)にて働いていました。大学出てからの、およそ20年、そこでしか働いたことがありませんでした。

 そもそも私が何故、介護業界で働きだしたかと言うと、それは大学生の頃のある飲み会がそのキッカケです。

私は当時、全く介護業界で働くという気はありませんでした。かと言って、何がしたい、どんな仕事をするなど考えておらずな状態でした。にも関わらず、「介護」「福祉」「人のため」という言葉は、好きではありませんでした。

しかし、その飲み会でトイレを待っている時、友人が吐いたんです。

その時、私は自分でも思いもよらぬ行動をしました。自分の手で、その友人の吐物を受け止めていたんです。その時、私の頭の中で、価値観が変わりました。「介護」「福祉」「人のため」なんてと考えていた私でしたが、そんな私でも人のために汚れてしまうことも躊躇せずに動くことが出来ると。

その出来事をキッカケに介護業界(介護老人保健施設で働く)に足を踏み入れました。

 

 私が、介護老人保健施設で働いていた時の忘れられないクライアント(利用者)がいます。

そのうちの一人のお話です。

その方(仮称花子さん)は、80歳後半の女性で、下肢筋力の低下がみられ、移動は車椅子で介助にて移動。

食事は配膳すれば自力での摂取が可能。認知症はあり、短期記憶の低下はみられるが、コミュニケーションは可能。

そのクライアントは、長らく娘様夫婦と同居されており、そこには一匹の白い猫もいました。

その猫の名前は「ミケ」といい、私が「花子さん、猫いるよ。」と話しかけると、必ず笑顔で「ミケ!?」と答えていました。ですが、ある時同じように「花子さん、猫いるよ。」と声掛けをしましたが、花子さんは、なかなか、何も答えません。笑顔もみられません。

いつもの花子さんとなんだか様子が異なります。

いつもの花子さんは、「ミケ!?」と笑顔で返してくれるのです。私は、看護師に報告しました。

看護師は、バイタルを測定、「特にバイタル上変わりないよ。」とのことでした。不安な気持ちながら帰ったことを覚えています。

花子さんは、翌日、熱が出ました。幸いにも、風邪症状だけで、著しい体調不良など起きませんでしたが、この時、介護職として非常に大切な観察について学びました。

介護職は、他職種(看護、医師、リハビリなど)に比べ、クライアントと過ごす時間が多いです。

だからこそ、クライアントの小さな違いに気付けるよう観察しなければなりません。そして、その観察の結果、今観るクライアントと普段のクライアントに違いがあるならば、それを医療職に伝えなくてはなりません。

 また、ご相談は、娘様から唐突に頂きました。

 「お墓参りに母を連れて行けないでしょうか?」と。

 聞くと、そのクライアントの生みの母と育ての母が異なり、当時、お墓は山梨の河口湖の近くだが、当時ならまだ何とか行けそうだから行けないかと、娘様も娘様のご主人も協力してくれ、自家用車での移動や、夜間は共に過ごすが、お墓参りの道中、支援してくれないかというご相談でした。

娘様とも綿密に話し合いを行い、山梨にある介護職付のホテルを探し、当日はそこにご本人、ご家族は泊り、私はホテルにて入浴介助を行い、帰ってきました。

お墓参りの道中は、車椅子を押し移動を行い、途中、ほうとうを食べました。認知症があるため、当日の夕方に、お墓参りをしたことは、既に忘れていたようですが、お墓参りの最中、娘様が花子さんの母の名前を伝えると、確かに涙を流し、手を合わせていました。

私が日常的によく関わっていた花子さん、好きな動作や好きな反応、そして、その娘様から相談を受け、自分で責任を持って、コーディネートしたお墓参り・・・いつの間にか、自分の家族のように、自分のことのように考えていました。

だからこそ、私も花子さんの涙を見て、自分も涙を流しましたし、充実感に溢れていました。

 介護職として大切なもの、

それはクライアントの小さな違いに気付けるよう、

今観るクライアントと普段のクライアントに違いに気付くという観察、

そして、自分の家族のように、自分のことのようにという共感である

と私は今も考え、今日も支援に向かいます。

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