土屋ケアカレッジと金槌と私 【part1】

土屋ケアカレッジと金槌と私 【part1】
YAMAJUN

皆さんこんにちは!

土屋ケアカレッジのブログをご覧いただきありがとうございます!
今日は土屋ケアカレッジ マーケティング責任者のYAMAJUNがお届けします♪

まず簡単に私の自己紹介を!
私は元大工職人18年。学生時代を卒業後、憧れの大工の道を選びました。
幼少期の頃からモノ作りが大好きでずっと大工さんになりたいと思っていました。

16歳で弟子入りし20歳代前半で独立し経営してきました。
順風満帆だった私は4人の従業員と大阪を拠点にあっちこっちで現場をこなしてきました。独立して5年後くらいの事です。請け負った現場で元請けに飛ばれたんです。(飛ばれる→未清算のまま行方くらます)当時雇っていた従業員の給料、材料費、その他諸々で2000万円ほどの借金を抱えることになり、潰したくない想いはありましたが現実は厳しく閉めることになりました。

全て失った私は、しばらく路頭に迷い、当時1万円で購入したボロボロのワンボックス1台に衣類など詰め込み車中泊生活の日々。思い切って車ごと港に突っ込んだら楽かな…なんて悪いことを何度も考えました。

その後先輩に紹介してもらった建築営業の会社に就職し、がむしゃらに営業しまくり、良い感じで成績を収め、3か月で主任、半年で課長、一年後には部長に就任することが出来ました。

これで人生立て直せる!と思っていた入社2年後くらいの頃、会社の不祥事により倒産…

一瞬にして職を失う事となり、またもや振り出しです。笑い事ではなく正に人生ゲームそのもの。度重なる負のオンパレードで人生うまくいきません…

自分では抱えきれず、霊山に修業に行ったこともあります。

人生占いとかも行きました。その当時言われたのが「40代で救世主が現る」って言葉。
このことだけをずっと信じて何とか生きている感じでした。

(波乱万丈すぎて長いので所々省略しています)

話はガラッと変わり、実は私の母も株式会社土屋が運営するホームケア土屋で働いています。
母は介護歴25年以上のベテランヘルパー。

そんな母からずっと「将来のために介護やっとき!」と言われ続けていましたが、
当時3Kと言われる介護なんかできるかー!と突っぱねていました。

それでも話すたびにあまりにも言われるのでとりあえず資格だけでも取るかーとヘルパー2級(今でいう初任者研修に近い資格)を取得、その後介護の複合型施設に入社しました。
高齢者や障害者の方と接する中で、思ってもなかった感情が芽生え、あんなに全否定していた自分が噓のように介護職でのやりがい、楽しさを感じることが出来ました。

2年ほど勤めたある日のこと、夜勤明けで部屋を巡回している時、
ある利用者が私と会えたことが嬉しいと沢山お話をしてくれ話が盛り上がり、朝から部屋は笑いの渦。
すると上司につまみ出され、「しゃべらんでええねん!用事済んだら次の部屋!」と注意を受けました。

寒い冬の入浴時、ある利用者が「お風呂が最高の幸せや!」というので、「寒いしもう少しゆっくり浸かっていいよー」と言うと喜んでくれ気持ちよさそうに入っていました。
するとまた上司が来て「はよ上がらし!一人5分で入浴回さな終わらんで!」と言われました。

それは重々承知!でもこんなん人の生活ちゃうやん!と思い、利用者の喜びを裂くようなことが出来ず、施設での介護は自分には向いてないと判断し退社を決意しました。

やっぱ自分は会社員自体向いてないんや…と思い、そしてまた大工職人の道に進みます。

ある日のこと、住んでいたマンションのごみ置き場で捨てられていた子供の玩具。
「まだ使えそうやのにもったいないなぁ…」とすごく気になったのを今でも覚えています。

じゃあいつまでも受け継がれていくような捨てられないおもちゃを作ればいいやん!と思い、その事がきっかけで木工作家を目指すこととなり、自身の工房を構えまた楽しい制作の日々が訪れたのです!

ある日、某大企業が毎年開催していた手作り雑貨のコンテストに出品したころ
総数8000作品の中から勝ち抜き、グランプリを獲得することが出来ました!
表彰式の日の来場者は10万人以上! これにはビビりました。

この時は一生に二度とないような経験で人生最大の感動でしたね!
その後テレビに新聞に取材が入り、地上波の某ドキュメンタリー番組の密着取材。

放送後同時にお客様もどんどん来てくれるようになりました。

まぁでもやっぱ甘かった…

一時は良かったものの所詮、零細企業。
継続するためには宣伝広告費やそれを学ぶための投資も必要…学歴が無く頭の無い私がゼロから自分だけの力で進むには限界がありました。

そんな私は夜のバイトを探すようになります。
求人広告で見かけた重度訪問介護のチラシ。

「利用者に寄り添った介護」

一目見てこれや!と思いました。すぐに応募して会社から案内の連絡が。
私はヘルパー2級の介護資格を持っていましたが、全く未知の重度訪問介護。

重度訪問介護の現場に入るには重度訪問介護従業者養成研修 統合課程を修了することが必要です。

ネットで調べれば、医療的ケア?喀痰吸引?経管栄養?第三号研修??…なんじゃこりゃ⁈ってな感じで色々調べても変に不安になるし、とりあえず統合課程とやらを受講してみよう!と思いました。

当時は現在、株式会社土屋の代表である高浜社長が統合課程に登壇されていました。

この統合課程で私の中にイナズマのような衝撃が走りました!
高浜さんのこれまでの歴史を知り、福祉にかける想いに感銘を受けました。

40代で救世主現る!の言葉をずっと信じ続けていた自分は「きたー!この人や!」って思った瞬間でした。

何より1対1でクライアント(土屋では利用者をクライアントと呼ぶ)に寄り添った介護というのが昔の施設介護ではなかったところ。

そしてこれまでの人生で散々周りに迷惑をかけてきた埋め合わせをここならできる!という強い気持ちで入社を決意しました。

入社時の面接は現在土屋ケアカレッジで校長を務める宮本さんで、色々不安だったものを一気に取っ払ってくれ安心感と頑張る気持ちを与えてくれたのを今も覚えています。

第二の人生が始まる。

会社員なんて無理で自分は自営業でやって行くしかないという偏見があった私は何もかも捨ててゼロからこの仕事に懸けてみよう!と心に決めました。

実際現場に入り、支援をする中で介護に対するイメージは180度変わり、対等にクライアントと寄り添う中で、自分も大きな学びになり、クライアントからも喜ばれる、こんな幸せなことってないと日々感動の連続でした。

不安だった医療的ケアも看護師の実地研修を修了し、先輩の同行、会社のサポートで安心して現場で支援に入ることが出来ました。何より、クライアントと1対1の支援なので、クライアントから勇気をもらうことも多かったです。

2年半ほど現場での経験を経て、現在介護研修機関である土屋ケアカレッジで働かせて頂いております。

土屋ケアカレッジでは、私自身またゼロからのスタートではありましたが、これまでの経験をフルに活かせる場所でした。

介護の業界に初めて入る人たちが一番初めにくぐる門。

そんな重要な場所で仕事をする中で、土屋ケアカレッジはいつまで経っても当時の自分を思い出し初心を忘れることのない場所でもあります。

そして何より、こんな私を歓迎し受け入れてくれた、土屋ケアカレッジ吉田理事長に宮本校長、そして温かく優しい気持ちを持った土屋ケアカレッジの愉快な仲間たち。

重要なポジションで、それぞれが山ほど仕事を抱える中、共に悩み、語り合い、解決し、笑い合える。会社勤めを拒否していた自分が嘘のように、今本当に日々充実しています。

大げさではなく、ここなら骨を埋められる想いです!

私のような人間でも変われたきっかけを生んだ重度訪問介護との出会い、そして会社ではあるけれど私にとって「土屋」は生きる場所、人生の架け橋やったんやなって深く感謝の気持ちでいっぱいです!

その第一歩となる土屋ケアカレッジで色々な人生、色々な想いを持った人たちが訪れ、新たなスタートを踏み出せるよう、身魂をなげうって尽力したいと思います!

今後ともよろしくお願いいたします! YAMAJUNでしたー♪

次回、【土屋ケアカレッジと金槌と私 part2】土屋ケアカレッジのあれを作った?をお届けします!お楽しみにー!!

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